Kiriko Diary

何でもない普通のブログです。暇つぶしにでもどうぞ。

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依存

毎日が忙しいと、ついつい自分の事は二の次になりがち。

こうなるのも、日本人の特徴的性格の「人に尽くすのが好き」という所から来る所為なのだろうか。

 

でもあたし本人は「人に尽くすのが好き」なんて思ったことがない。人に認められれば嬉しいし有難いが、だからと言って「尽くすのが好き」なんてまるでMじゃないか❗️

 

そんな気持ちはないなぁ。ま、でも強いていうなら「困っている人が喜んでくれると嬉しい」というところだろうか。

 

「人に尽くすのが好き」と「困っている人が喜んでくれると嬉しい」には大きな違いがある。「人に尽くす」となると「尽くす対象」がいてその対象に対して「奉仕する」のだから、ある特定の対象者に対して奉仕する事になり、そうすると、半ば奴隷的な奉仕となってしまうことも多少否めない感も出てくる。が、「困っている人が喜ぶ事をする」となると、これは対象者は困っている人であるが、不特定多数であり奉仕であるかもしれないが、ボランティアでもないかもしれない。報酬も貰うかもしれないが、困っている人がこちらがサービスを施す事で楽になる事、つまり「奉仕」に含まれる暗黙の「奴隷性」のような意味合いも薄れてくる。

 

ま、「人に尽くすのが好き」なんてあたしには出来ないかな。日本人は要するに、M的な性格の人が多くいて、「人に尽くす」=「自分に対する価値」と思う人が多いのではないのだろうか。正直あまりこの度がすぎると、病気である。いわゆる精神疾患でいうところの「共依存症」。気を病んでしまうのだ。

 

親子の関係、夫婦の関係にも「依存」が関わる、自立出来ない夫なり息子なりが見えてこないだろうか。「依存」とは「頼る」という事だが、相手に期待して乗っかるのは甘えだろうが、上記のように人に尽くす事で相手の中にある「必要とされる自分」に価値を見出す、その精神的な期待値が大きくなればなるほど、相手が必要とされるように相手を「依存させる」というところに、自己の価値観を満す、という「習慣」が出来てしまう。

「もう〜、〇〇ちゃんたらぁ。ママがやってあげる」とか「〇〇くんは私が居ないとダメなんだから」とかは、その初期傾向だと思う。

 

自立出来ない息子はやがて自立出来ない夫になってゆく。女も然りか。