Kiriko Diary

何でもない普通のブログです。暇つぶしにでもどうぞ。

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時代の変化

最近つとに見かけなくなった風景が、まさに時代の変化を象徴していると思った事がある。

それは電車内での風景だ。

 

世の中は変わったものだ


インターネットやアプリケーションの普及により、新聞が売れないと言われて久しいが、現在の世の中では、新聞を含む紙媒体の読み物はほぼ減少している。


かつてあたしがまだ社会人になってまも無い頃はPCというものは、名前は聞いた事があるが、実物は知らない人もいて、それがどういうものかと言うことは殆どの人が解らない状態だった。企業にあるのはワープロであり、それが書類作成の聖書の作業に使われて、日本語用タイプライターのような役割を果たしていた。そしてその当時の企業はその程度で満足していたのだった。強いて言えば、任天堂のマリオゲームぐらいがブームだったと言うことぐらいだった。


それから10年経つと、PCが企業には無くてはならない存在になる。ビジネスにはPCに搭載されているインターネットで検索や様々な情報を入手したり、社内のイントラネットを活用したりなど、マイクロソフトOfficeも一体化販売され、この2つが無くては仕事が出来ないようになっていった。マイクロソフトOfficeなどは世界中から独占禁止法違反の汚名の元、ヨーロッパの一部ではポイコットも起こったが、それでも普及の方が目覚ましく、マイクロソフトOfficeが無い企業はおよそ世の中には無いくらいの普及をしていった。


そして更に10年経つと、スマートフォンが普及し始める。スマートフォンはスマフォと呼ばれ、それに搭載されるアプリケーションはアプリと呼ばれ、このアプリをスマホの画面上でタップすれば、大概のことは用が済むようになった。今やアプリを通じて金融取引から、買い物、読書など大概のことは出来てしまう。新聞もそのアプリに取り込まれてしまった内の一つだ。ペーパーレスという社会的コンセンサスの元、紙の新聞は新聞屋が潰れる程普及しなくなっていた。


その典型を電車の中の風景に見る事が出来る。30年ほど前、朝電車に乗ると、ギュウギュウ詰の電車の中で、縦4つに折り畳んだ新聞を1/4紙面づつ読んで、押されながら圧し合いながら立っている人も座っている人も、その朝の電車の中での新聞読みがまるでビジネスマンの象徴であるかのごとく、サラリーマンの人々は電車に乗れば新聞を広げ、1日の商いの行く先を模索したりもしたものだったろう。


その新聞は普及しなくなった今、電車の中ではそのような光景は全くといっていいほど見ない。電車に乗る人は、立っている人も座っている人もスマホでゲームをしているか、ラインをしているかだ。たまにスポーツ新聞を読んでいる人を見かけるが、それも新聞の音が耳障りになるほど珍しい光景となってしまった。