Kiriko Diary

何でもない普通のブログです。暇つぶしにでもどうぞ。

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Being Alone

あたしはXイチだが、一人で居ることに何ら孤独も感じないし、むしろ面倒がなくて精々する。

世の中はここ10年ほどの間にかなり変わり、日本人にも人権や基本的権利というものが何であるかという事がようやくわかってきた様だ。つまりそこまで来ると、もはや前近代的な、あるいは戦争直後の昭和20年代ほどまでの思想やその思想的価値観などといったものは通用しなくなる。あえていうなら、男女雇用均等法の下、性別の如何によらず、仕事あるいは職場における「性差の平等」を求めること、その下にかかる権利は基本的に平等であり、「何人も」当然の権利を主張する権利を持つ。

 

つい20年ほど前までは、「自分の権利」として昼食の時間、残業を断り子供を迎えに行くなどという事を職場で言おうものなら「問題」扱いされ、部屋の隅に追いやられて仕事を減らされるなどの嫌がらせも受けたものだ。平成も終わりに近づき、ようやく本当の意味での「平成」というところに行き着いたのだろうか。

 

これは日本が今まで男尊女卑の封建社会であることを象徴してる。男性優位というのは男性が生物学的にも身体的にも優れているからという事を象徴しているわけでもない。昨今の大学不正入試事件で解った様に、男は「下駄」を履いて入学し、就職する。つまり、男性の「優位」とは「下駄」だったのだ。下駄がなければ大学入試もできなければ、就職もない。学術的な正当な評価、社会的な評価というものは無く、下駄を履いて良し悪しを決める。となれば、一律にた様なもので、皆下駄を履いているから、それならどんな下駄がいいのか、それは下駄の鼻緒で決めるしか無くなる。良い鼻緒つまり良いコネなり推薦なりを持っている者が優位になる。その様な「優位性」の上にできた社会は、自ずといい加減だ。その実、日本社会では芸術の評価も文学の評価も「評価」そのものに対する信憑性が低い所為か、海外で評価された者しか良しとしない様な風潮もある。芸術なんぞはさらにいい加減で、「〇〇先生の推薦」がものをいう。作品の芸術性は二の次なのだ。

 

おしなべてこれが日本の社会であり、日本の男社会であり、その男が牛耳ってきた社会である。そこに近年女性が女性担当の仕事を持ってやってきたのである。下駄など履いて生きてきたことのない女性を男は脅威に思う。当然であろう。女性はそんなことはつゆとも知らないので、権力順位に従おうとし、その権力順位を追おうとする。優秀な女性を憎々しげに思わない男はいないだろう。学力も上位仕事も上位。しかし下駄しか履いたことのない男には、この実力勝負がわからない。女性に対しセクハラ、パワハラで脅かし貶める。それしか下駄を履いてきた男にできる女性との「競争」はないのだ。

 

こんな男は家に居ても同様だ。身近な女性を暴力で持って従わせようとする。ごく普通の行動に難癖をつけ叱りつけ、挙句は手を挙げる。そんな男の横顔が新聞テレビにしょっちゅう登場する。そしてニュースは常に「会社ではごくおとなしい普通の会社員でした」と締めくくる。この「おとなしい」「ごく普通」は下駄を履かせてもらって満足で「おとなし」く、そこで女性を見下している「ごく普通」の男なのだ。それが家にあるいは小さな女児を見ると爆発するのか、わいせつな行為をしてみたり、誘拐したりこういうニュースも後をたたない。

前置きが長くなったが、言いたいことは、こんな男とは一緒に居たくないので、一人でいた方が気持ちよく毎日が過ごせて楽しいということだ。Being alone is better than having a bad friendなのだ。

しかし、こういう思いがごく普通で、ごくごく性格にも生活にも馴染んでしまっている。一人が長いからという理由にはならない。なぜなら、一人が長いとさみしい思いをする、という人もいるからだ。こんな自分が、では、結婚するということになるとそれはどういうことだろうか。常に思うところは何かしら一人では生きる事が難しくなる理由がある場合に限られるのだと思う。

こんなところに考えが落ち着いてしまうのは、恐らく自分の家族背景にもあるだろう。あたしの両親は昔のお見合いをして結婚した夫婦だ。見合い写真を見たら結婚しなくてはならないらしかったが、そんは理由では結婚しなかった。むしろ多少は前向きな形での見合い結婚だったらしいが、それでも二人を見ているとかなり割り切った家族社会生活の様にも思えた。妻、母としての家族に対する役割、夫、父としての役割のみで成り立っていた様な夫婦だったと思う。父も母も恋愛感情があってお互いを助け合っているとは思えなかった。いわゆる「夫婦」という絆では無く、「役割」が彼らの詰まる所の関係だったと思う。そんな両親を見て育ったあたしは、当然恋愛に憧れたが、その両親の価値観を受け継いでいるのだろう。恋愛結婚もしたし複数の恋愛もしたが、結局は一人で落ち着いている。好きな人と別れるのは辛いが、この辛さはこの両親にはわからない感情だった。

恋愛感情がわからない夫婦。「役割」でしかお互いを考える事をしなかった人間関係。役割としての対応を続けて生きてきた人間関係。役割以上は求めないし望まない人間関係なのだろう。人として家族としての共感や楽しみなどというものはない。そんな人間関係の中、病気になるとどうなるのだろうか。答えは簡単である。知り合いの見舞いの様な看病になる。看病といっても適当で、子供が何の病気にかかり、手術の立会いをしなくてはならないなど、一向に気に留める様子もない。むしろ仕事を優先した父親。心配するのは父親本人の病気のことばかりである。母もそんな父のおかげで、自分のことを自分で気にかけなければ、誰も気にかけてはくれないのを知っていて、必死である。

ここで感じたのは夫婦とは所詮「他人」との共同生活であるということ。不愉快なら離婚すればいいのだが、昔の夫婦はそれが許されないし、離婚などとは社会的悪という観念から、離婚は恥などと擦り込まれているので、不愉快で嫌でも離婚はしない。そんなストレスが募り募ると、熟年離婚か精神的におかしくなる。母は晩年、家事がストレスになり、だんだん気を悪くしていった。家事のストレスといってもその辺の若い主婦がやるのではない。80歳に近い、体も150cmにも満たない女性が、年老いて体力もない体で自転車を漕いで買い物に奔走する。父は家でテレビを見て過ごす毎日。母は「疲れた」といってまもなく認知症になった。よほど大変だったのだろう。母が入院してから後、家から自転車で5分くらいのところにある小さな公園に、母の自転車が置いたままになっていたのを見つけた。母は不憫だった。

そういう母に父は「役割」としての義務を押し付けた。これがこの夫婦の結末である。祖母に対しては息子の愛情というよりは「マザコン」の依存症であろう。祖母は自宅介護であったが、ある日重度の肺炎を起こしたが、父は祖母が「もう100歳も過ぎて思い残すことはないから、死なせてくれ」という言葉のままに、重度の肺炎を起こした祖母をそのままベッドに放置した。およそ1週間だったのだろうか。定期的にきてくれていたヘルパーさんが祖母の病状の重大さに驚き、即座に救急車を呼び入院という運びになった。

この手のマザコン男は「母性」や「母」というものの役割は本人の甘えを受け入れ満たしてくれる存在のみである。それだけなので母に対する愛情というものは彼の心には介在しない。甘える対象であり依存的対象であり、本人が親としての自らの母を愛する、大事にするという行為はない。つまりこの母親がこの息子に対してして子供の頃してやった、道具なりおもちゃなりを与えるという行為しかできないのである。非常に幼稚じみた行為である。そして大人になったこの男は本人の母親が病床についているにも関わらず、看病をするどころか、見殺しにしようとしたのである。未必の故意

その後祖母は退院するも、それが原因で脳梗塞になり半年ほど経つと再び入院することとなり、それ以来病院から出ることはなかった。

母に至っては、おかしくなったのは祖母が入院して2、3年後だった。家事が疲れ負担になっていた。それでも助けを求める事なく、生真面目で「役割」果たそうとした母は気丈に振る舞った。がそれが仇となり、だんだんと精神的にもうつ状態になり、果ては認知症になっていった。父が、夫として妻を支えることをしてさえいれば、こうはならなかっただろう。何でも与えられ猫可愛がりされて育った男はただのマゾコン男にとどまり、家族の中ではその醜態を晒しわがままなだけで、協調性のない欲求をただ押し付けるだけの、みっともない男だった。それでも会社ではある程度の地位につき、収入はそこそこあったものの、それも本人の意のままに使うことが多く、母は「私が貯金しなければこの家に金は貯まらない」といつも言っていた。

そして加えて母が言っていたのは「誰も普通しない失敗をする」。父はどうもそういう人らしい。そうだろう。昔の学力レベルで下駄を履いて入学し、下駄を履いて就職をする。そんな程度の男がまともなわけがない。しかし会社に行けばそんな男だらけだ。そんな社会ではうまくやっていく。

母は本当に疲れていた。あの小さな体で一丁懸命役割を果たそうと真面目だった。そしておかしくなった。父は面倒くさそうにしていたのを覚えている。そんな父の口から母に対して「可哀想」という言葉が出たのには驚きだった。この男にもまともな感情というものがあるのかと思った。しかしそれからまもなく父は母を様々な病院に連れまわし、認知症特有の俳諧や興奮が出てくると、強い向精神薬を医者に処方させて飲ませ、母は一言も喋らなくなった。それに驚いた父はあたしの携帯に電話をかけてきたのだった。正直あたしの心は怒りでいっぱいになった。母にそういうことをして、この男は介護の面倒を「省こう」としていたのだ。土日に母を見舞うとソファーに座ったまま空を見てて一言も話さない。直ちにこの様な強い薬を捨てる様に父に怒鳴りつけた。

父はまるで実験が失敗した様な様子だった。母に対する気遣いなどはない。この男は本人を世話し続けて老いた人をどう思っているのか。とんでもない人格の持ち主である。こんな息子でも母親にとっては「特別」な存在なのだった。アジア通貨危機になってもリーマンショックになり日本の景気が落ち込んでも、仕事にありついていた息子を「神童」のごとく自慢した。その息子はその母を見殺しにしようとしたにも関わらず。

こんな親を見て育ったあたしは、男に対しては一定の見解があり信用に至らない。いずれの男も信用はしないし、アラばかりが見えてくる。結果、男と一緒にいて幸せだなどと思ったことがない。寧ろ面倒である。みているとあたしが病気になると恋愛関係であっても男は「面倒」な様だ。決してケアーや心配をする様子はない。男などとはこういう生き物であり、信用に値する生き物ではないのだ。決して何を期待してもいないが、そういう思いやりのない行為を見るにつけ、やはりと思うのだ。

結局あたしにとって相手に見るものは「役割」を通して見る相手であり、恋愛感情までをも利用する男の依存的マザコンであり、それ以上を期待もしなければその相手と関係を継続しようとも思わない「相手」なのだ。

そんな苦労で自分を悩ますより、為になる本の一冊でも読み、知識と教養を増やして趣味にでも勤しんでいた方が、人生どれほど楽しいかしれないと思うのである。