Kiriko Diary

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運転免許

先日の交通事故ニュースで、車のドライバーは90歳のお婆ちゃんだった。

家族もいる人で、意識もしっかりとしていて、警察での事情聴取には「免許返納を言われても、返納する気は無かった」と自らの意思を明確に伝えている。

人生100年と言われるこの現代。例えば、免許を70歳で返納して凡そ残りの30年を車なしでどう移動し、生活するのか。これは老人が、というよりはいまの若い人も将来、60、70を迎えることになると考えざるを得ない現実になるかもしれない。

都内に住んでいると、地下鉄に乗れば大抵のところへは30分もあれば行けてしまう。地下鉄の駅は大抵街の中心に位置していて、銀座なんかは大手デパートの前に地上出入り口があったりする。非常に便利だ。大抵の場所へは30分だが、隣駅まではものの2、3分で着いてしまう。更に便利だ。実は隣駅まで歩くと15分なのだ。この距離に地下鉄の駅がある。こんな環境であれば、車などなくても移動は簡単なので、生活経済を人生の中心に考える現代の若者などは、車を買わない。ま、ごく当然の環境といえる。

ところが、この事件が起こった地域の様に、車で運転をすることを移動手段として余儀なくされる様な地域では、日常生活において移動手段が外出の際の重要な選択肢になる。駅周辺のマンションなどに住んでいる場合は別として、地方では戸建ての住宅地も多い。そこからの移動を70を過ぎた老人が徒歩で移動するのは大変だろう。ではバスを利用すればいい、とは言えどバスでは小回りが利かない。では自転車は・・・となるだろうが、2輪でバランスをとって足で漕いで起動する乗り物を、果たして70を過ぎた老人が、その体力の元でどれくらいの距離を移動できるのだろうか。

この地域にはコミュニティーバス(都内の江戸バスと同じ)があり、比較的近隣を走る小さなバスなのだが、地域に乗り入れているバスとの乗客の乗合比率を考慮してか、1時間に1本しかない。

これでは公共機関を利用すると、移動に不便極まりないのである。そこで車が便利となる。最近ではシェアカーが出てきてもいるが、「今」という時に使えるのは、やはり自宅にある自分の車となる。

体力がなくなってくる老人には、ハンドルを回すだけで様々な場所に移動できる車は便利極まりないであろう。

今や自動車会社では自動運転車の開発を進めているが、果たして、その自動運転車を買うのに資金がどれほど必要なのか。それも課題だろうし、いつその開発が終わり完成品が世の中に出回るのか、これも考えなくてはならない。そして、昨今若者は自動車を買わなくなってきている。これはシェアカーの普及にもよるが、その若者が老人となった時、免許を返納するとこのシェアカーも運転できなくなる。

この移動手段と人生100年を、公共機関は今一度考え直さなくてはならない時期にきていると思う。