Kiriko Diary

何でもない普通のブログです。暇つぶしにでもどうぞ。

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通勤時間

都内に20年余り住んでいたが、最近親が年をとったので実家に戻った。

実家も首都圏内にあるのではあるが、都内にいた時の通勤時間と実家からの通勤時間の違いに、最近疲労が増してきた。

 

以前は大抵のところへは30分で行けた。都内23区なら大抵何処へでも30分。通勤も地下鉄で1本。あるいは乗り換えてもせいぜい2駅で行ける距離。今はまず家からバス停へ行くのに徒歩10分。駅まで10分。電車に乗って1時間超え。

 

こういう生活スタイルの変化は、自らの人生を犠牲にする。通勤時間に時間がかかり過ぎ、仕事の下調べも限られた時間でこなさなくてはならず、それプラス家事などやっていられないのだ。そんな事をしたら身体が持たないので、何かを削らなくてはならない。身体を削るわけにはいかないので、何かの用事を削るしか無くなる。

 

そこで何が一番障害なのか考えてみる。すると、家事であることがわかった。家事は割と大変で、作業そのものは単純であるが、この単純作業がときに重労働になるのだ。家事に割く時間があれば、PCの前で資料の下調べの一つもできるものを、家事のせいでできなくなる、翌日の出勤も考えれば、早々に就寝しなくてはならない。

 

朝は5時に起きて身支度に食事を簡単に取ると7時には家を出る。バスに乗って駅に着くと7:00ぐらいの電車に乗れる。乗っても座れるわけでもなく、空いた席を隣に立つ人と競うようにして先取りする。しかし、座ってのんびり出来るわけではない。座れば目の前に立つ人の足が膝に仕える、カバンが膝に当たる。電車が揺れれば立つ人も時に揺れて前のめりになり、座っている座席めがけて倒れそうになる。満員電車の座席とは、これまた窮屈なのだ。

 

こんな朝を繰り返して、2年が経った。1年経てば落ち着くと思っていたが、2年経っても何だかんだ居心地が悪く、疲労が増して行く感じが抜けない。困ったもんだ。こんな生活いつまで続くのか。1人で暮らしているときは、なんて呑気な生活をしているのかと、親の面倒の一つも目なくてはバチが当たるくらいに思って、呑気な一人暮らしを呪う様に思ったが、実際環境がこんな変化の仕方をするとは思ってもいなかった。全てが甘かったのか。目論見が外れた。

 

通勤時間とは重要な時間配分の一つだ。これが無いのとあるのとでは生活の仕方が変わる。通勤時間はない方がいいのか・・・。以前は気分転換ぐらいの気持ちでいたが。30分は気分転換になるだろう、が、1時間以上は疲労になる。この疲労に打ち勝つために、最近ではサプリメントのお世話になっている。こんな事でいいはずは無いと思うが・・・。手術を2度経験した身体には負担になりすぎるのだ。

 

近くに仕事を見つけたいが、希望する様な仕事はない。これも一極集中の所為だ。となると自分で何か地元で店を構えるのがいいのだろうが、そんな技量は持ち合わせていない。一応個人事業主だが、店を持つのとはちょっと違う。

 

実家に戻って3年目。得策が無いまま月日が過ぎて行く。