Kiriko Diary

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東京

東京に住んで20年近くになろうとしている。

東京に住んでいるというと、「東京の人」と、人々は特別な目で見る。

しかしあたしは全然特別には思わない。

 

東京には思うところがあり、つまり「東京なんて場所は住む場所じゃない」ということで、特に住みたいと切望したことはない。

学生時代から東京にはよく遊びに行き、大抵の目星い場所は訪れた。就職をしてからも、飲み会はその辺の馴染みの場所で行うので、対して目新しさや珍しさから来る興味もない。ただ、とある理由から実家を出なくてはならなくなったので、引っ越しできたのだ。東京だと通勤には便利だという利点がある。ま、東京に住むことの利点とはそのくらいだろう。都内なら地下鉄に乗れば大抵の都心の地域へは30分程で到着できる。その位しか東京に住んでいて良いと思うところは、あたしの中では見当たらない。

 

東京に住んでいると、時々耳にするのは「東京にはアイデンティティが無い」という言葉。それはそうだろう。東京で生まれて育った人はどれほどいるのか。ほぼ都内の人口の半分以上は地方出身者だ。なので、東京の歴史を知っているわけでもなく、東京の地理を知っているわけでもなく、憧れや仕事を探してやってくる人々ばかりが集う、つまり、全く違ったバックグラウンドを持って住むところのみを、都内とする人々の集まりなのである。

 

ややもすると、隣に住む人も何をしているのか、語る機会もないくらいお互いを知らない。あるいは隣に住む人が誰であるのかなんて気にしないくらい、個人の生活は家の玄関のドアを閉めれば、完全に外界と仕切られる。

 

しかし、そんな東京住まいも一旦ドアの外に出れば、そこに集まる人は皆違う出身であり、違うバックグラウンドがあるということで一致しているのだ。同郷や幼少の養育経験とその環境に、東京という部分を見出すことはないが、しかし、それぞれが異郷であり、違った、東京ではない環境で育ったという点で共通するのが、東京の人々ということだ。

 

都市というところはおしなべてそのようなところだろう。「都市」であるとか「首都」であると粋がってはみせるものの、その実烏合の衆のごった煮を繰り返す場所が首都であり都市なのだ。それに気づかない人が地方には多い。地方から「出てくる」人が多い割には、「東京に住む人」は元から東京にいると錯覚を起こしているの人も多い。都内にいれば交通機関も季節の変化でダイヤが乱れる。柔な東京というが、その柔な東京にいる人は多くが地方出身者だ。地方と違う気候のせいかあるいは交通の便が良いせいか、危機感を持たない人が多いのか。

 

そんな東京は決して楽に暮らせる場所でもない。